家族、それぞれの暮らしのカタチ vol.3 ~鈴木慎二さんご一家~

2021.3.16
家族、それぞれの暮らしのカタチ vol.3 ~鈴木慎二さんご一家~

自分にとって「成功」と「幸せ」ってなんだろう?
ある程度個人が守られる社会で、ずっと考えられてきたこと。
ここでWicanとしてご紹介していくのは「幸せ」=「家族」のそれぞれの形。
全国の色々な家族を取材し、それぞれの追い求める「家族」の形をご紹介していきます。

ガラスを作ること。自分の色を求めて

鈴木さんは北京の大学に通い、卒業後日本に戻り東京のIT企業へ就職。人から見れば成功というレールに乗った順調な人生だったかもしれない。しかし彼は東京を離れ生まれ故郷である沖縄へ移住。元々興味のあったガラスを自分自身で作りたいという想いから、自分でガラス工房を作り、グラスや器などを手作りで制作。しかも、不必要となったガラスを使用し、再生ガラスとして違う形、美しい色で生まれ変わらせている。
あまり好きではなかったというITの仕事を捨て、好きな仕事を自分で作る。まさに自らが再生ガラスのような生き方を選んだ鈴木さんに今の生活の魅力と今後を聞いてみました。

▼どのような経緯で再生ガラスを作ることになったのですか?

鈴木:元々北京の大学に入学して、卒業した後、東京のIT企業で働き、沖縄に帰ってきて最初の半年は航空会社で働いてました。ずっと仕事にモヤモヤしていたなか、もの作りに携わりたくなって。そして思い立って工房に入り1年半くらいいたのですが、どちらかというと旅行者向けの体験工房で人に作らせてあげるのがメインだったので、せっかく技術を学びたくて工房入ったのに人に教えるばかりで自分のものを作る時間がなく(笑)。
その後生産メインの工房に入り4年間修行し、3年前に独立して今に至ります。

▼この綺麗なガラスの色はどうやって出していくんですか?

鈴木:ー製作工程で色を出す為に、付け加える元素が色々あります。たとえば紫だと酸化マンガンなど。その中でも茶色、というか琥珀色だけは独特で。元々茶色い瓶から作るんですけど、酸化還元というちょっと難しい色の出方をするんです。温度プラス酸素の量で色が決まっていくので、なかなか色合いが安定しなかったりします。あと気泡が、茶色のガラスだけずっと大きいままだったり、熱を入れすぎると色が抜けてしまったり。
とても綺麗で好きな色合いなのですが茶色の瓶も手に入りにくいというのもあって最近は製造を一旦止めています。あ、ちなみにこのガラスというものは固体ではなく液体状態と言われるんです。このグラスも窓ガラスも沸騰しないし凍らない液体です。面白いですよね。

美しい色とりどりのグラスたち

▼この色違いの青いグラスは?

鈴木:この青いグラスは泡盛の瓶ではなく、窓ガラスを再生したものです。最近だと泡盛の空き瓶も入りづらくなってしまっていて。若者のお酒離れですかね。
昔より泡盛の本数自体が少なくなってきて瓶がそもそも手に入りづらいんです。
あと最近は瓶の回収自体も少なくなってきていて、今までは回収した瓶を我々が砕いて原料として使用していたのですが、今はそのまま産業廃棄物業者が回収して……。道路の補修などに使ったりしているんでしょうか。再生業界はコロナやお酒離れなども含めて厳しい状態です。複雑な気持ちですが。

写真右はジャックというガラス専用の加工道具

▼窯のなかを見せていただいていいですか?

鈴木:今、窯に火が入っていないので一度溶けたガラスが入っています。この溶けたガラスが入っているのがいわゆる「るつぼ」というものです。これを1280度程でドロドロに溶かして、それを鉄パイプで水飴の様に巻き取って空気を入れていきます。

るつぼの中で溶けたガラス、その容色はとても美しい

▼この窯はご自身で作られたんですか?

鈴木:はい、この窯は1から作りました。売ってないことはないんですけど、自分で作った方が火の巡り方とか調整しやすいので。
形としてはこの四角い形のなかに3つの機能を持っていて、まずはガラス素材を「溶かす窯」。それを形づける工程で冷えてきたガラスを「再度溶かす窯」。最終的に形づけたガラスも600度以上あるので、それを「冷ますための窯」というのがこの窯の機能です。大量生産するような大きな窯はこれが全て別々になっているんですが、うちは1人でやるので一つにまとめています。温度管理ははじめはデジタルでやっていたのですが、どうしても割れてしまって。
そんなとき、職人さんに教えてもらったのが新聞紙を投げて1、2、3で火がついた時の温度に調整してごらんと言われ、その通りにしたら見事にガラスが割れなったんです。
デジタルで合わせられなかった細かい調整なのに……。昔の職人さんの知識は本当にすごいと思います。

「仕事」との向き合いから、「自分」と「家族」との向き合いへ

▼東京という都会からは全く逆の生活ですが、今のガラスを作る生活の魅力は?

鈴木:母親が沖縄出身で、小さい頃から琉球ガラスというものを観光客目線で見ていて。はじめ何にも形のない丸いものが、ものの5分くらいで形になっていくのがカッコよくて。しかも熱い時のガラスって発熱しているので光って見えるので、なんてカッコいいんだと。それを自分でやりたいなぁと。
僕はIT企業にいたんですけど、ITが好きなわけじゃないのにはじめてしまったので。
どうしてもITは最新の技術をどんどん追いかけ続けなくてはいけないのですけど、好きでもないものを追いかけ続けるのに疑問を感じてきて。
今はガラスのことは24時間考えています。起きる時も窯に火を入れる時間、寝る時も窯の火を消す時間、すべてこの窯に合わせて自分の生活があって。もちろん大変なこともあるんですけど、それもすべて生活になってしまっているので嫌ではないし、今の方が楽しいですね。自分の為に自分の時間を使っているという実感もあります。

▼奥さまは一緒に工房のお手伝いを?

しょうこさん:1人とか家族で製作所を営んでいるところは奥さんが手元についたりとかするんですけど、私は普通に別で働いています(笑)。家計的にもそれでバランスも取ってるんです。

北京時代からお互い支え合う奥さん、しょうこさんと、長女たいちゃん(6歳)

 

長男いちくん(4歳)
お父さんの仕事場で遊ぶ長女たいちゃん

▼沖縄での生活はどうですか?

鈴木さん:とてもゆるいですよ(笑)
2人の子供ができてからは、ほとんど家族と自分の仕事、本当それだけかな。
まだまだガラス作りも工夫していきたいと思うし、色々できることはたくさんあると思っています。あ、最近は畑も作り始めました。
情報社会に追いつかなきゃと肩肘張って頑張って疲弊するよりも、人に喜ばれるもの作り続けていきたいし、家族との時間もゆっくりと持てる今の生活にはとても満足しています。

沖縄の冬には大きな入道雲が

鈴木さんの工房の名前は「白鴉再生硝子器製作所」
鴉は昔より吉兆を伝える賢い鳥であり、白鴉はありえない事の例えでも使われているように鈴木さんの知恵と情熱で、他とは違う素晴らしい作品を作り続けて欲しい。

鈴木慎二 ガラス職人

GlassArt青い風、ガラス工房清天での修行を経て、うるま市に「白鴉再生硝子器製作所」を2018年に設立。様々な泡盛の瓶は使われなくなったガラスから作る再生ガラスは独特の美しい色合い。コップやお皿などを自分のペースで製作しています。

「白鴉再生硝子器製作所」

沖縄県うるま市石川曙2-24-63-2

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