写真で、家族は強くなる。 写真家・平間至インタビュー&「30周年記念写真展」イベント
写真家・平間至は、とても不思議な魅力のある人だ。
90年代、オルタナティブなカルチャーがメインストリームになりつつあった時代に、これまでの価値観への反抗や挑戦を、写真という文脈で挑んでいたのが平間氏だと思う。
分かりやすく言えば、ロックでパンクなフォトグラファー。
でも、ご本人から湧き出る空気感は、ピースフルでピュア。
このコントラストが、非常に興味深い。
その最たるものが、2015年にオープンした平間写真館TOKYOで撮り続けている家族のポートレートの数々だろう。
カメラマンデビューから30年。この節目を記念した「30周年記念写真展」は、平間氏の生まれ育った宮城県塩竃市の「ひらま写真館」で開催された。この稀代のカメラマンにとって、写真とは? 家族とは? お話を伺うべく、塩竃を訪れた。
その人らしさを撮り続けて30年。塩竃の地で見つめる原点。
▼そもそも30周年の写真展を、活動拠点である東京ではなく、故郷の「ひらま写真館」で開催したのはなぜですか?
平間:これまで、何周年という節目の企画はやったことがなくて。今回は塩竃でやろうとは思っていたんですけど、2〜3年前から僕のいとこが「ひらま写真館」の改装をずっとやってくれていて(※1)、それがちょうどこの10月に一区切りするという奇跡的なタイミングもあったんです。
自分の30周年なので「原点」ということを考えれば、生まれ育った場所でやれて良かったと思いますし、東京で30年頑張ってきて、ここで展示ができるというのは、節目としてまた次のステップに進めるなと感じています。
(※1)平間氏のいとこであり、みなとまちづくりマイスターである鈴木さんが、昭和元年の開業以来、町の人に愛されてきた「ひらま写真館」を文化施設として後世に残そうと尽力されている。
▼今回の展示は、写真集「Motor Drive」に代表される90年代の作品と、平間写真館TOKYOでの家族のポートレートのコントラストが興味深いのですが・・・
平間:この2つのシリーズを対照的に感じるかもしれませんが、実は家族のポートレートも、「Motor Drive」の手法で撮っているんです。だから写真館の写真でも、被写体に動きがあるんですよ。
モデルやミュージシャンの写真でも、家族のポートレートでも手法は一緒。そもそも人に「止まる」という習性はないですから、イメージを固めずに、動いてもらって、そのいい瞬間を撮る。その人らしさや魅力をいかに引き出すか。ミュージシャンでも、家族でも、それは同じです。一番輝いている瞬間を撮るために、撮影者である僕がまず自分を解放して、被写体も解放してもらう。あらかじめ構図を決めて撮るということはないですね。
写真館の写真への反抗から見えてきたもの。
▼家族のポートレートを撮るようになって、心境の変化はありましたか?
平間:90年代は自分に注目が集まりすぎたというか。ブレイクしてしまったことで、沢山オファーもあったのですが、自分としては次のステップに進みたい気持ちもあって。97年の「アンビエント・ハワイ」という音楽と写真を融合したPARCOギャラリーの展示だったり、TOKYO No.1 SOUL SETのBIKKEとコラボして、詩と写真で家族のことを語ったり。
これまでいろんな場面があったんですけど、なんかこう自分の中で確信を得るものに出会えなかった。そんな中で2015年に平間写真館TOKYOを始めて、これは自分の中でやるべき写真のひとつという、はっきりとした確信を持てましたね。
▼自分のルーツは、やはり写真館にあった?
平間:そうですね。「Motor Drive」の頃は写真館の反動で、ある意味、乱暴な写真を撮っていたこともあるけれど。それは写真館という基本があったから、パンク的な手法ができたんじゃないかな。「基本」があるから、それを外すということができる。そもそも基本がないと、ただの乱暴なカメラマンでしかないから(笑)。
家族の「いい状態」を映し、固定する、写真のチカラ。
▼写真というのは家族にとって、どんな意味を持つと思いますか?
平間:平間写真館TOKYOは、「写真で、家族は強くなる」というキャッチフレーズを掲げていますが、家族って、もともと危ういものだと思うんです。家族の始まりを夫婦だとすると、違う育ち方をしてきて、違う価値観を持った人間が何十年も暮らすわけですから、それはそれである意味大きなテーマであり、試練ではないかな、と。
そんな移ろいやすい存在に、写真は「いい状態」を固定してあげられる力があると思うんです。写真がいい固定の仕方さえしていれば、例えば喧嘩した時でも、ちょっと家族のいい状態の写真を見ることで、その気持ちに立ち戻れる。人間の心って不確かだからこそ、その気持ちを「いい状態」に戻せる力が写真にはあると思っています。
▼平間さん自身は子どもの頃、家族からどんな影響を受けました?
平間:ずばり音楽です。祖父がバイオリン、父がチェロを弾いていたので、小さい頃から身近に音楽がありました。そのおかげで、インプットは音楽、アウトプットは写真という、明確な流れが自分の中に確立されました。
中学生の頃にはパンクが誕生して、ニューウェーブ、ポストパンクといった大きな流れがあって、それを思春期に経験できたのも一生の財産かなぁと。
それに小さい頃、祖父が写真館でコンサートをしていたこともあって、自分も「写真館」と「音楽」が重なるようなことを今後はしていきたいと考えています。
▼コロナ禍を経て、これからの時代はどうなっていくと感じていますか?
平間:より家族が大事になってくるんじゃないですかね。今後どうなるか分からないですけど、コロナが教えてくれることも沢山あるんじゃないかな。その中で人間関係の基本である家族は大事になってくるし、より本質に戻るきっかけなのかな、とも感じています。
▼今回は30年の節目ですが、さらに30年後、60年という節目に向けての目標はありますか?
平間:30年後っていったら、もう米寿ですね(笑)。やはり元気なうちに一人でも多く家族の写真を撮りたいし、僕の撮影を多くの人に体験して欲しいと思っています。写真って、東日本大震災のときもそうでしたが、自分にとって大切なことを気づかせてくれるもの。「写真で、家族は強くなる」をテーマに、これからも家族写真をどんどん撮っていきたいです。
プロフィール
平間 至
Itaru Hirama
1963年、宮城県塩竈市に生まれる。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、写真家イジマカオル氏に師事。1995年に出版された写真集『Motor Drive』でセンセーションを巻き起こし、タワーレコードの「No Music, No Life?」キャンペーンをはじめ〝音楽が聞こえてくるような躍動感あふれるポートレート″によって、今までにないスタイルを打ち出し、多くのミュージシャンの撮影を手掛ける。
近年では舞踊家の田中泯氏の「-場踊り-」シリーズをライフワークとし、世界との一体感を感じさせるような作品制作を追求している。2006年よりゼラチンシルバーセッションに参加、2008年より「塩竈フォトフェスティバル」を企画・プロデュース。2009年よりレンタル暗室&ギャラリー「PIPPO」をオープンし、多彩なワークショップを企画する等、フィルム写真の普及活動を行っている。
2013年には、俳優・綾野剛写真集「胎響」(ワニブックス)や、田中泯氏との写真集「Last Movement-最終の身振りへ向けて-」(博進堂)の発表と共に個展も行い、大きな注目を集めた。2012年より塩竈にて、音楽フェスティバル「GAMA ROCK」主催。2015年1月三宿に平間写真館TOKYOをオープンする。
(イベント情報) 平間 至 30周年記念写真展 30 Years of Hirama Itaru Photography
2020年10月10日(土)~10月18日(日)
10時~17時(月~金)、11時~19時(土・日)
会期中無休。入場無料。
会場:塩竃・ひらま写真館
〒985-0021 宮城県塩竈市尾島町 18-14
問合せ先:平間写真館TOKYO TEL: 03-6413-8400
TEXT:SEIGO ICHIMURA
PHOTO:Wican編集部